2014 アレクサンダー・アライアンス東京 リトリート ②
2014年11月22~25日 夕やけ小やけふれあいの里
前の記事で細かな内容について書いた。
一つ書き忘れたことがある、自分の世界と相手の世界がクロスする所を創り意識することが大切、とブルースが終始言っていた。
今回のリトリートでは多くのことを学んだが、僕にとって言葉にしておかなくてはいけないことが二つある。
自分は自分の面倒を見ているだけで良い。
自分は自分の習慣的な動きをめ、頭や首の押し下げや肩や背中を狭くすることを止めているだけで良い。
そうすれば相手(生徒さん)は、自分で自分の習慣的な動き気付きそれを止めプライマリーコントロールにアクセスする。
自分のプライマリームーブメントが相手に影響を与える訳ではないので、自分のプライマリコントロールがどうであれ問題ではない。
言葉に出来ないことは言葉にしないでおく。
言葉に出来ない感覚的なものは、感覚的なもののままにしておく。
言葉にして名前を付けてしまった時点で、それはナニカになってしまうことになり、ナニカになってしまうと、次からはそれが経験になり習慣のもとになる。
フワッとした感覚も伸びる感覚も広がる感覚も止めている感覚も、自分としてはハッキリとした擬音語や擬態語や例えなどにしない方が良い。
(生徒さんがそれを言うことは助けになる場合があるので良いと思う。)
この二つのことは、かなり大きな出来事だった。
アレクサンダー教師が何故いつも自分のことを考え曖昧な言葉で表現しようとするのかが分かったような気がする。
それを分かった上でアレクサンダーの指導をするのか分からないままにするのかでは、大きな違いが出るだろうと思う。
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