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10年目にして分かること

アレクサンダー・テクニーック東京スクールの授業に出た。
久しぶりの授業。
師匠のクラスでワークを受けた。
何があったのかと思うくらいに、動くと思いつつ動かないとか、動かないと思いつつ動くとか、まだまだ、もっともっと、そこからこういって・・・みたいなことを繰り返しました。
何だか相当に戻っていたような感じ。
そう言えば、今年に入って個人レッスンをする機会が激減している。
月に一度のNHK文化でのグループレッスンと、2ヶ月に一回くらいのダンススタジオなどでやっているWSの他に、個人レッスンは本当に少なくなってしまった。
宣伝が上手く出来ていないのもあるかもしれないが、いかんなぁと思っていた矢先だった。


「解剖学とマッピングを使わないでワークしてみようか。」
「聞き流してください。」
「『えっ!?』と言うのやめましょうか。」


強烈でしたね。
こんなに習慣的になっていることがあるのかと思い知らされました。
レッスンをする時には、解剖学やマッピングを使うと理解が早いように思っていました。
来てくれた生徒さんが何かを感じて持って帰ってくれる。
そんな風に思っていた。
でも、それ自体がエンドゲイニングになっていたとも思います。
「聞き流す。」ことについても。
聞き流すと言うことは、耳を通過させるということ。
聞き流す時に理解をしようとすることは、正解を探し正解をしたいと言う、いつもの習慣的な僕の行動であった。
ように思う。
「えっ!?」と言うのも同じ。


首を自由にすると、頭の中心が軽くなる。
そのアノ感覚が来ると、背中が長く広くなる。
この感じが、ひょっとして「いつもの」「習慣的な」感じになっているんじゃないか、と言う不安が春くらいからしていた。
それがまさしくそれだったのかもしれないと思う。
1週間あとに個人レッスンを受けて、確認することにした。


やっぱりアノ感覚は習慣だったのかもしれない。
アノ感覚は自分を騙していたのかもしれない。
頭の中心が軽くなる感覚ではない、感覚があった。
なんとも言えない頭の中心のもやっとした、捉えどころのない感覚。
その感覚と共に全身が同じような感覚になる。
その感覚に軽いと言う形容がされました。
そうなのか、これが触れていて感じる軽さで、でも自分としては軽さとは少し違う感覚があった。
やっぱり感覚はダマス。
知らないうちにそうしようとしてしまっていたのかもしれない。
その上でもう一つ。
歩こうと言う意図があって歩く、と言う話。
意図が感じられないことが悩みというか分からないところだったけど、それがひょっとしてコレ!?と言うものを感じた。
いや感じないんだけど、思うものなんだと思った。
首は自由、体もなんでも出来る状態、全ての行動に対して動きを留保してる状態で、意図を持ったとしても、自由さは変わらない。
だから体の感覚は変わらない。
ただ意図があるんだと言うこと。
意図は身体感覚とは別もので良いんだと言うこと。
身体感覚的には全てに開かれていて覚醒していて自由で、その上で意図がある。
意図は意図。
体の感覚ではない。
こんなことを10年目にしてやっと気がついた。
でも気が付けて良かった。


※アレクサンダー・テクニーク 個人レッスン(40分=5000円)受けられます。


■てあて整体院 ・ 東京
東京都練馬区東大泉 5-27-18-A(西武池袋線大泉学園駅6分)
mail teate@nifty.com
電話 03-3922-7230

■てあて整体院 ・ 名古屋 (月に4日・千種駅1分)
愛知県名古屋市東区葵 3-14-20
mail teate@nifty.com
電話 03-3922-7230

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