言葉という習慣

あら木さんからアレクサンダーの話を聞いたりワークを受けたりしたら分かりやすかった、と言ってもらえることがあります。
分かった!と言ってもらえることは良いことです。
正直なところ嬉しいと単純に思います。
でも実はかなり色々と考えてしまいます。

説明をする時、言葉を使います。
でも言葉はそれぞれの人の持っている感覚や経験とは違うものです。
『白いコップ』を思い浮かべて下さいと言った時、10人いれば10種類、100人いれば100種類の白いコップが想像されることになります。
背が伸びたとか頭がふわっとするとか体感を言葉にした時も同じで、こんな感じと言った時にそれはそれぞれの人で違った感覚を共有することになります。
もちろん全く違う感覚や全く違うモノではなく、およそ一緒のものが想像されたりイメージを共有されたりしますけど、厳密には違うものを共有してしまうことになります。
それは言葉のもつ特性として仕方がないことで、そのおよそ一緒ではあるが厳密に同じではないことを差し引いても、言葉を使うことのメリットが莫大で膨大なので、使って良いし使うべきだとは思います。

説明をする時、言葉を使います。
アレクサンダー・テクニークの話をする時もそうです。
それで『分かった』と言われた時、いくつかの疑問点というか危惧することがあります。
まずその「分かった」と言う言葉の意味が、僕の使っている『分かった』と同じなのか、その人の分かったと僕の分かったは同じなのか、と言うことです。
もう一つはその人が分かったことが、僕が伝えたかったことかどうかということです。
「A」を伝えたかったのに、実際はそれに酷似した「A'」を伝えたのではないかという危惧です。

普段の生活ではそんなことは思いません。
ただアレクサンダー・テクニークについては、そこを考えます。
どうしてだか厳密にしたいという思いがあります。
最近の課題です。



■てあて整体院 ・ 東京
東京都練馬区東大泉 1-26-12-507
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愛知県名古屋市東区葵 3-14-20
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※アレクサンダー・テクニーク 個人レッスン(4~50分=5000円)受けられます。

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アレクサンダー教師としての弱点

2014年11月にアレクサンダー教師になって4ヶ月。
個人レッスンは100人を超えやグループ・レッスンも10回位はやっていると思う。
いろいろと良いところもあると思うが、おじさんとしてはそんなことは百でも二百でも思いつくが、そんなのは書いてても面白くないので弱点を書こうかと思う。
すでに、この考え方自体が習慣的な考えで弱点なのかもしれないけど。


ワークショップが苦手だ。
今年一年はワークショップではなく、NHK文化センターと名古屋でのグループ・レッスンをすることにしようと思ったのも、そのことが大きな原因の一つだ。
何が苦手かと言うと「ワークショップの目的」が思いつかない。
アレクサンダーの醍醐味はハンズオン・ワークだと思っているところがある。
確かにハンズオン・ワークは醍醐味だし個人レッスンが伝わりやすい方法だろうと思う。
でも、そこに拘泥していてはいけないように思う。
いや、いけない訳ではないが、そこだけに居ついてしまっては広がりがないように思う。
そしてワークショップが苦手と思ってはいけないと思う。
それでも、ワークショップは今のところ苦手だ。
もう一度書くが『目的』が思いつかない。
プルダウンしている頭をフリーにして(ネックフリー)、背中が長く広くと言うディレクション(方向性)を感じてもらうのは、ワークショップで出来るのか?と思ってしまう。
ハンズオンを時間をかけて一人一人の状態を見ながらではないと出来ないのではないかと思ってしまう。

ではあの「軽い」ような「浮く」ような「全てが自由」なフワフワした感覚を感じてもらう以外の目的は何か。
ボディ・マッピングで起こる変化は、アレクサンダー的ではあるけどやっぱりハンズオンにプラスすることでより変化が起こったり分かりやすくなったりするようなものだと思う。
では『思いで変わる自分の感覚』を感じてもらうのは、何になるのか。
『いつもと違うことをすることで、いつもと違う感覚になる。』のは、何になるのか。
やっぱりワークショップで出来ることでは、今の僕ではアレクサンダーは伝えられないと思う。

ちょっと原理主義的になってしまうのが、僕の習慣なのかもなぁと書いていて思った。
でも、教師になったばかりで少しくらい原理主義的な考え方をするのは、悪くはないだろう。
もっともっと自分の感覚を感じ、個人レッスンやワークをして経験を積み、その上でなら少し広くアレクサンダーを解釈しても良いかもしれない。

やっぱり今年はグループレッスンで色々と試し考えよう。



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備忘録

2014年11月1~9日までのマーサのクラスで習ったこと。
忘れないように書き留めておく。


■ステップ・バイ・ステップ

・オブザベイション (観察)
・アウェアネス(気付き)
 → 身体感覚と繋がる。
・インヒビション
 → 自分自身を妨害しているものを抑制
・ディレクション
 → 動きの整理・促進


■ハンズ・オンの段階

・WOSの手で触れる。
・呼吸を感じる。
・地面を感じる。(教師と生徒)
・体全体を感じる。(教師と生徒)
・固有受容器を生徒まで伸ばしていく。
・ヘッドリート、ボディフォローを狙う(aim)

※WOS=Whole hands,Open list,Sencing(手全部、手首を開く、感じる)
※ハンズオンの段階は全部が別々に同時に起こる!


■レッスンのデザイン

・最初、途中、最後の3つのパートに別れる。

・「最初」は予約の電話などの時で、最初のコンタクトがあった時。
教師は情報を集めることが大切で、生徒が何をやりたいか聞き、そこから実際に必要なことを考える。
言ったことが本当にその時に必要なことかどうかは分からない。

・「途中」は何をやりたいか聞き、それをステップ・バイ・ステップの方法でやっていることが分かっていること。
生徒さんのプロセスとして、オブザベイション・アウェアネス・インヒビション・ディレクションがあることが望ましい。
生徒に筋感覚的体験があること、教師が自由な感じで生徒と手を使って繋がること。

・「最後」はレッスンの中で起こっていること使えることを出して、家に持って帰ることが出来るようにする。
レッスンがスタジオで終わらないように、日常に戻って忘れてしまわないようにすることが大切。


■アレクサンダー・テクニークはデンジャラス・ゾーンで行われていると言うことを忘れないように。

教師と生徒の間では境界(バウンドリー)はなくなるが、代わりに信頼感をえることになる。
→ それが出来るように努力する。

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レッスンを3ヶ月やって思うこと 

2013年12月から2月まで三ヶ月、アレクサンダー・テクニーク・モニターレッスンとして生徒さんを30名近く見てきた。
様々な生徒さんがいて様々な要望があったが、ここまででいろいろと考えたことを書いておきたい。


レッスンをやってみて今感じているのは、忸怩たる思いってやつだ。
ジクジタルオモイ・・・
なんともしっくりこないと言うか、納得がいかないと言うか、全面的にダメではないが良いとは到底言えない感じというか、心が残るというかなんというかという感じ。
いくつかの要因がある。


生徒さんが何か期待して来ていることや考えていることや感じたいと思っていることや解決したいと思っていることがあって、それを聞いた自分がではこうしようこうしたい今日は最終的にこんな感じを受け取ってもらいたいと思ったとする。
整体で言えば主訴があって結果をこうしたいというようなこと。
それで自分のその日の目的というか方向性が決まる。
テクニークの指導をして終わった後に、生徒さんは自分の思った通りのところまでは到達していない、あるいは感じてくれていない。
にもかかわらず、生徒さんは満足したり何かを感じたりする。
ようするに、相手の求めていることを提供出来なかったにもかかわらず、相手はそれを提供されたと思っているという状態。
これがどうにもこうにも気持ちの落ち着かせられないことになる。
それは違うんですとは言えないし、やりなおしも出来ない。


これとは違って、期待していたこと求めていることが、提供できず生徒さんも提供されなかったと感じているという状態。
これは以外に少なかったが、いたたまれないことになる。
でも、整体でもこんなことはあったので、こちらの方が仕方がないと割り切ることは出来る。


また、生徒さんの話を聞いて、どこをどうやってアプローチして良いかわからず、頭と首の関係をハンズオンと説明でしている内に、なんとなくその方向に近づいて行った時。
これで本当に正しいアプローチなのかと思うことがある。
これは経験不足によるもので仕方がないとは思うが、時間をかけてなんとかしていきたい問題。
例えば、腰痛・肩こりなどはどうやってアプローチすべきなのか。


これはジクジタルオモイとは別だが、継続して来てもらう生徒さんに対して、どんな風に対処すれば良いのか。
毎回、同じことをするのも芸がないようにも思うが、別のアプローチというのも今のところは好みではないような気がする。


まだまだ3ヶ月目。
100人を超えた辺りで何か感じることがあれば良いかな。

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インヒビション・プライマリームーブメント・ノンドゥーイング

分からなくなってきた。
いや分かっているのかもしれない。

何かをする時、何かをしようとすると”習慣的な””いつもの動き”が出てきてしまう。
だから何かをしようとしない。
インヒビションする。
インヒビションすることは、何かをしないように”する”ことではなく、ただ何かをしない、と言うこと。


インヒビションすると、習慣的ないつもの動きにつながっているナニカは起こらなくなり、そこでプライマリームーブメントが起こる。
プライマリームーブメントは始原的な元々ある備わったもの。
ここまでは分かる。
ような気がする。


もちろん疑いはある。
元々ある備わった始原的な動きは、本当にすべての人に備わっているのか、デフォルトなのか。
そして、何かをすることは必ず習慣的な動きとつながっているのか。


そこで起こってくるはずのナニカ、を感じた時、それがプライマリームーブメントなのか、それとも自分が何かをしている(ドゥーイング)のか。
そこが分からない。
自分で感じるものがプライマリームーブメントなのか、自分がしようとしているナニカなのかが分からない。
となると、そこで起こったナニカをドゥーイングだと判断して、ノンドゥーイングしてしまうということがある。
と言うか、最近はそればかりやっている。
ハンズオンしている人や先生には、『それがソレです。』『そのままソレについていけばよい。』と言われる。
しかし『ソレ』を僕が感じたとしたら、していることではないのか。


していることをしないと言うことは、程度の問題ではないと思っていた。
『し過ぎにならない。』と言うことと、『しない。』と言うことは全く別のことだろうと思う。
プルダウンは程度の問題ではなく、『後ろに下に』と言う方向性での動き。
これを『前に上に』するには、程度の問題ではないのではないか、と言うか違うもんだろうと思う。
脚を伸ばすと言うのは、伸びている状態にすると言うことで、少しでも曲がっていたら伸びてはいない。
『あまり伸びてはいない。』と言う言葉はあっても、実際にはそれは『曲がっている。』と言うことなんだと思う。

2013年7月の課題

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ヘッドリード・ボディフォロー と 僧帽筋・Th12・腸腰筋 (追記)

アレキサンダーの基本的な原理と言うか考え方に、頭を上に前に(ヘッドリード)と言うこととその頭に体・脊椎が追随していく(ボディフォロー)と言うものがあります。


頭を上に前にと言う方向性は、頸椎1番と頭蓋間の関節の屈曲という動きにつながります。
ここで引き延ばされるのは”僧帽筋”です。
僧帽筋には上部中部下部とありますが、それらは筋膜で包まれ引き延ばしの力は上部から下部まで伝わることになります。
ようするに頭を上に前に動かすことで、僧帽筋は脊柱に沿って上に引っ張られることになります。
僧帽筋の一番下は胸椎12番(Th12)についています。
胸椎12番(Th12)の前面からは”腸腰筋”が始まっています。
腸腰筋は大腿骨近位の小転子に停止しています。
腸腰筋の動きは大腿骨に伝わり、下肢を動かす力となります。


ここまで、無理のない考え方だとは思います。
筋肉は名前がついた単独の筋の収縮だけで動くと考えていると思いつかないかもしれませんが、筋肉が筋膜につつまれた組織だと思えば、少し違った考え方が出来ます。
これはアナトミートレインを提唱しているトマス・マイヤーの言っていたことでもあります。
紐は引っ張れば引っ張った側から引っ張られる反対側の端まで伝わります。
筋肉も筋膜につつまれた組織だと考えれば、端から端に引っ張りの力が伝わります。
同じことは皮膚などの組織にも言えることだと思います。


全く違う見かたをします。


神経系と言うものがあります。
神経系は中枢から抹消へと伝わっていくように出来ています。
また、神経系は皮膚と同じ外胚葉系の組織です。
ようするに、神経と皮膚は系統が同じ作りをしていると言うことです。
中枢から抹消へと言う”繋がり”は、神経系の電気刺激というだけでなく、現実的な”引っ張り”の伝わりということもあるのではないか…と言うのが僕の仮説です。


筋・筋膜の繋がりと神経系の繋がりは、電気信号や筋収縮と言うものだけでなく、直接的物理的な”引っ張り””繋がり”と言うこともあるのではないかと思っています。
歩行や運動などについても、筋収縮だけでそれを説明してしまうと、動きはエネルギーを使い過ぎるように思う。
筋の繋がり筋膜の繋がりと重力などを使うことで、省エネ運動が出来ると考えます。


ヘッドリード・ボディフォロ-は、中枢から抹消へと伝わる神経系だけの問題ではなく、筋・筋膜など物理的な”引っ張り”も関係する運動の説明方法なのではないかと思います。


上手く説明出来ないが、この仮説は少し温めておこうかな。


(追記)

何故、ヘッドリード・ボディフォローが全ての行動の始まりなのか、についても、頭の動き・僧坊筋・Th12・腸腰筋がポイントになってくる。
直立二足歩行をするヒトが行動を起こすと言うことは、位置を変え動くと言うことになる。
ヒトが体の位置を変え動く場合、下肢の動きは必須。
となると股関節の屈曲筋である腸腰筋の動きはやはりポイントとなる。
腸腰筋が動くことが、ヒトの身体が動くことの言動力あるいは出発点・起点となっている。


と言うことで、頭から連なる動きの連鎖あるいは連なりは行動へと繋がっていくことになる … と。

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手技療法とアレキサンダー・テクニーク

アレキサンダー・テクニークは手技療法ではない…と言われる。
なのにハンズオン(手で触れる)・ワークがとても重要な"方法"となっている。


手で触れて相手が変化するのに手技療法ではない。
気功やエネルギーワークでもない。
ではいったいアレキサンダーテクニークとは何なのか。
と、そんな難しいことではなく、アレキサンダーと手技療法は違うことをやっているのか同じことをやっているのか。
違う・同じと言っても、手技やテクニックのことではなく、その目的とするところのことだ。
これが不思議で、いつも気にかかっていた。
日本のアレキサンダー教師にも来日したアレキサンダー教師にも、いつも『ハンズオンで何をやっているのか』『ハンズオンをやっている時に何を考えているのか』と言う問いを投げかけてきた。
答えはほとんど同じ。


何もやっていない。
自分のことを考えている。
自分と相手と全体を考えている。
と言うような答え。


僕自身は整体をする時には、患者さんに対して『何か』をやっている。
患者さんに相対した時には、言葉で表せるようなものではないが、何か明確な方向性のような指向性のようなものが働いている。
ようするに『患者さんに対する構え』は決まっている。
それは、自分がどんな状態でも患者さんがどんな状態でも、結果が出るということのための『構え』だと思っている。
そこには不遜な自分がいるような気もするが、それは整体師としての構えとして前提されるもので、しかたがない…あるいはそれが条件のようなものだという気もする。


ところがアレキサンダーテクニークでは何かをしないと言う。
自分を考えること、相手のディレクション(僕の持つ方向性とは違い、身体の各部の方向性)を考えること、があってハンズオンをする。
そして何かを求めようとするのではなく、ただ手を添えるということをする。
ただすることが、相手に変化を与える…のではなく、そのことが契機となって相手が変化をする。
変化をするのはあくまで相手で、こちら側の能動的な何かの結果としてではなく、相手の自ずからの発するところとして変化が生まれる。
不思議ですね~
自分の状態を良くすることが、相手の変化の呼び水となる。
この場合、問題は相手ではなく自分ということになる。

確かにハンズオンをして自分の状態が良くなると、相手は勝手に何かを起こすことがある。
相手の変化・動きに、同時におおお~と声が出て目が合うことがある。
そう言う意味では、自分を面倒みる方法と、ハンズオンのテクニックとしてのアレキサンダー・テクニークは確立された教育法があると思う。
4年の歳月をかける意味はそこにあるのかもしれない。
4年の歳月をかけて、一生面倒を見続けなければ習慣性に囚われる自分の身体を面倒をみられる方法を身につけるということになるのかもしれない。


整体とは全く違うアプローチと言うことになる。
と、今日のところは思っている。(09.06.07)

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク

2007年11月11日 赤坂見附


ダイアログ・イン・ザ・ダークという体験型展覧会に行ってきた。
目の慣れない全くの暗闇でいろいろなことを体験するというもの。
詳しくは → http://teate.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_0e45.html


暗闇の中に入って最初は、足がなかなか出にくい感じがある。
ようするに視覚が遮断されたので、心細さ恐怖が出てきたのだと思う。
輪になってボールをまわすゲームで、聴覚だけでかなりの情報が得られるということを知らされる。
次の部屋に行って杖を渡される。
ここで、かなり安心が走る。
手でも足の先にある障害物や段差が分かるということになったからのようだ。
手の重要性ということなのかな・・・


目が慣れてくると言うと変だが、暗闇に少し慣れてくると、身体が宇宙空間に浮いているような感覚に襲われる。
もちろん足元には床があり、床を踏みしめていることは分かるのだが、前後左右上下のどの方向も暗闇のため、その前後左右上下の感覚があやうくなる。
あやうくなるのだが、床の感覚だけで真っ直ぐ立っていられる。
ひょっとして、床の感覚で立っているのか、身体の中の筋肉の感覚で立っているのかは分からない。


歩くにしても、どこかに行こうと思っても、対象物が見えないので、顔が先に出てエンドゲイニングのような首の使い方にはなっていないようだ。
人間の目は前についている。
そのことで目的物に目が行ってしまい、頭が前に出やすくなっているのかもしれない。
しかし、それは膝関節が前後に動くこととも関係しているんだろうなと思う。
見える方向に動けるということに意味があるのかもしれない。


逆にというか、それとは関係なくなのか関係あってなのか、耳は頭の横についていて、ほとんど全方向からの音をキャッチすることが出来る。
これは全方向への注意が出来るということで、動くということとは関係なく居るということと関係しているのかもしれない。
目は動くことで耳は居ることに関係しているのか・・・てなことを考える。
その次のこともありそうだが、今はまだ思いつかない。


闇の中では方向が分からない・ないからか、身体のディレクションはきちんとそちらの方向にディレクション出来ている、というかそういう方向にしかディレクションされていないような身体感覚があった。
そして、股関節が勝手に回って脚が前に出ている。


赤外線でこの歩き方を見てみたいものだと思った。
かなりプライマリームーブメントが出来ているような気がする。
結局、視覚という強烈な情報が無くなったことで、習慣性の源泉となっている情報が無くなり、習慣的に何かを出来なくなってしまったのかもしれない。
逆にこの状態に慣れてくると、また何らかの習慣性が出てくるのかもしれないと思った。


非常に面白い体験でした。

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セルフ・ハンズオン

神楽坂を歩きながら左手で左の首辺りを触れた。。。
と、後頭部の硬さが抜け体全体の力が抜け、背が高くというか姿勢が良くなるのが分かった。


おやおや~
と思ったので、きちんとというか細かく体の中を感じながらやってみた。
もちろん歩きながら。


左手の人差し指を耳たぶの下と首筋と顎骨の間にあるくぼみに軽く触れます。
同時に中指薬指小指を頬骨の当たりに軽く乗せ、親指はそのままでも首筋に触れても良いようです。
この動作というかハンズオンをした瞬間、後頭部ではなく頚椎一番と頭蓋の関節当たりが、するっと前に上に動く感覚がありました。
かなり微細ですけどね。
プルダウンの逆方向です。


たぶんその位置での動きや1~2ミリくらいなんだろうと思います。
頚椎と頭蓋の間の関節の動きはそれくらいでも、頚椎全体の傾きはかなり変わるような気がします。
たぶん0~5度くらいは変化があるのかな~と思います。


これってハンズオンでは・・・と思いました。
歩きながらやってみると、何度でも再現性がありました。
自分だけかもしれないけれど、これは僕にとっては画期的な感覚になるかもしれない。

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首の浮き方

アレキサンダーも2年目に入ってきて感じることなどが色々と変わってきたので、備忘録として残しても良さそうな気がしてきた。
少しずつ残していこうと思う。


■首の浮き方■

習い始めたころ、頚椎が下の方から浮き上がってきて軽くなり、頭がその上に浮かんだようになったことを覚えている。
ところがつい先日から、頭がそれだけで宙に浮かんでいるという感覚があった。
最初はモンキーで斜めになっている時で、10月最後に個人セッションを受けた時には立っている状態でそれがあった。

そして、立って頭が浮いたときには、最初のころに感じていた視線の変化がなく、背の高さが変わらないままに頭が宙に浮いた感覚があった。
最初のころはドアの上の鴨居が、低く見えたら首が軽くなるという自動的な感じがあったが、それはない。
つまり、背が低いままなのに頭が浮く感覚というのがあった。

この時には自由な動きがあったということを言われたと思う。
プライマリームーブメントがあったということらしかった。

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