言葉という習慣
あら木さんからアレクサンダーの話を聞いたりワークを受けたりしたら分かりやすかった、と言ってもらえることがあります。
分かった!と言ってもらえることは良いことです。
正直なところ嬉しいと単純に思います。
でも実はかなり色々と考えてしまいます。
説明をする時、言葉を使います。
でも言葉はそれぞれの人の持っている感覚や経験とは違うものです。
『白いコップ』を思い浮かべて下さいと言った時、10人いれば10種類、100人いれば100種類の白いコップが想像されることになります。
背が伸びたとか頭がふわっとするとか体感を言葉にした時も同じで、こんな感じと言った時にそれはそれぞれの人で違った感覚を共有することになります。
もちろん全く違う感覚や全く違うモノではなく、およそ一緒のものが想像されたりイメージを共有されたりしますけど、厳密には違うものを共有してしまうことになります。
それは言葉のもつ特性として仕方がないことで、そのおよそ一緒ではあるが厳密に同じではないことを差し引いても、言葉を使うことのメリットが莫大で膨大なので、使って良いし使うべきだとは思います。
説明をする時、言葉を使います。
アレクサンダー・テクニークの話をする時もそうです。
それで『分かった』と言われた時、いくつかの疑問点というか危惧することがあります。
まずその「分かった」と言う言葉の意味が、僕の使っている『分かった』と同じなのか、その人の分かったと僕の分かったは同じなのか、と言うことです。
もう一つはその人が分かったことが、僕が伝えたかったことかどうかということです。
「A」を伝えたかったのに、実際はそれに酷似した「A'」を伝えたのではないかという危惧です。
普段の生活ではそんなことは思いません。
ただアレクサンダー・テクニークについては、そこを考えます。
どうしてだか厳密にしたいという思いがあります。
最近の課題です。
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