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存在と死

一昨年、50歳になりました。
だから今は52歳。
50歳になる前後からちょっと考えていることがありました。


20代・30代・40代と自分を生きる準備をしてきたと思っていて、50歳になってみたら … あれっもう先は見えた、死ぬ準備をする時期が来たのか…と思った訳です。
別にすぐに死ぬとかそういうことではなくて、これからの生き方として何かをする時に死を意識する必要があるなとそう思った訳です。
となると、いつ自分を生きるんだってことになりますね。


唖然としました。
何だこれと思いました。
マズいなとも思いました。
いったい何をやってきたのかってことです。
今まで。


で、ま、それにも関連して、ここ2年くらい色々なことを考えていました。
少し前にも書きましたが、最近はそんなことばかり考えていたからか、死ぬのが怖くなくなってきて驚いていたりしました。
そうなると生に対する渇望が薄れていくことにもなったりして。
ま、これは困りもんなんですけどね。


昨日突然思いました。
存在についてです。
我ながら変なことに思いが至ったなと思いましたけどね。


以前読んだ本にこんなことが書いてありました。
『存在は存在するかしないか。』です。
『存在』が存在するとしたら、その『』のない存在は存在するのか、と言うことになります。
もし、『存在』が存在するのであれば、『』のない存在も存在すると言うことになります。
そうやってマトリョーシカのようになっていくと、結局は堂々巡りになって終わらないと。
ようするに、『存在』は存在するとか存在しないとか言うものではないと言うことのようでした。
自明だと書いてあったかもしれません。
でも、ここで僕が理解したあるいはこうだと思ったことは、ようするに存在について『良く分からない』と言うことでした。
だって、あると言うことが本当にあるかないかは、良く分からないじゃないですか、そんなこと、と思う訳です。


例えば僕は今ここにいます。
そしてあなたもいる。
地球もあるし日本もある。
でもこれ色々と変なんですね。
僕が今ここにいると言うことは、僕自身には分かります。
自分のことですから。
そして、あなたがいると言うことも僕には分かります。
見えているし触れるし声も聞こえるし。(あるいはそのどれかだけかもしれないにしても。)
でも、僕がいると言うことが、あなたに分かっているかどうかは僕には分かりません。
あなたはそう言うかもしれないけど、それは厳密には分からない。
何故かと言うと僕はあなたではないから。


地球はありますよね。
それは僕には分かります。
そして日本もあります。
でも、これちょっと違いますよね。
地球は今ここにある物理学と言うか自然科学と言うかで言うところの物としてあります。
地球と言うモノがある訳です。
でも日本と言うのはモノではないですね。
でもある。
とみんな思っている。
本州や四国や北海道が日本かと言えば、それだけでは日本とは言えないです。
では日本に住んでいる人が日本かと言えば、それだけでは日本とは言えない。
じゃ何が日本なのかと聞かれても答えられない。
なのに日本はある … と信じている。
みんなでね。


さてそこでです。
存在と言うことをまたまた考えました。
今度は『今この時』の存在についてです。
僕はあると思っています。
『今この時』に生きているし、あなたと話をしたりしている。
台風が来たり猛暑だったり晴れたりする今この時がある。


それは凄いことですね。
それだけで幸せって言う人もいました。
生きてるだけで丸儲け…ってんです。
でも、その凄いことって言う『今この時』があると言うことが、ようするにさっきに戻りますが『良く分からない』。
良く分からないけど、今この時があることがあるから凄い。


さて、別に僕は頭がおかしくなった訳ではありません。
ちょっとその、考えが考えを呼んでいるだけなので、野放しに考えを展開していってみているだけです。
でも、その考えが身体と同期している感じがあるので、これは僕の体の考えだと言えると思います。
腑に落ちているし納得している。


さて、そこでです。
死について考えてみました。


死ってのは中学生くらいから僕の頭と言うか胎(はら)の中でグイグイと後ろから引っ張るものでした。
死ぬのは怖いと思っていました。
なぜかというと『無くなる』からです。
自分が無くなってしまう恐怖。
それがありました。
その後40年近くそんなことばかり考えて来ました。
で、昨日、存在について考えてきていて、今日、あっと思ったことがありました。


『存在・あること・いること・今この時』があるってことが、良く分からないってことは、死んだ後に何もないとか今と違うなにかと言うことは『良く分からない』ことなんじゃないかと言うことです。
死んだあとに来世があると言うことを言っているのではありません。
死んだあとに何もないと言うことを言っているのでもありません。
それは『良く分からない』んだと言うことです。
そして今この時も良く分からないんだと言うことです。


これ、同じでしょう。
同じことのように思います。
と言うか、ここで何かが腑に落ちました、身体が何かを納得した。
不思議です。


やっと一昨年に悩んだことに、少し決着がついたかもしれません。

いや、やっと何かが始まるのかもしれません。

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日々是好日」カテゴリの記事

コメント

なんだか孔子の「我いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らんや」(かなりうろ覚え)を思い出しました。生きてる人は死んだことないから死がどんなものかなんてわからないんですよね。

こんにちは。
はい、先生の書いていらっしゃる事、すごく分かるような・・・
いや、ほんとは全然違うのかもしれないけど、

私も昔から心の中でモヤモヤ考えていた事と近いような気がして
思わずコメント書かせていただきます。

私も自分という存在をはじめ、人間、世界、宇宙、、、、その存在すべてが疑わしく思えたりします。

一般に言う「生きてる」ということが異様に不思議に思える、という感覚。
「生きてる」は「存在する」に置き換えられるのだと思います。

もしこの世のすべてが、
私の中で観念で造り上げられたものだったらどうしようーー・・
というような・・・・

私がものすごく長い間夢を見ているのかもしれない、、とか
いや、「私」さえ存在しないのかも、だとしたら
この世のすべては神様の手によるお芝居のようなものなのではないか・・・とか

うまく書けないですけど・・・
そうですね、先生がおっしゃるように「存在」がよくわからないですね。

でもこのことを突き詰めて考えると
頭がおかしくなりそうで怖くなるので
いつも途中で考えるのをやめて・・
「日常」に今まで通りに身を任せる事にしています。

先生はその先のお話を書いて下さっているのかな、、
と勝手に親近感を感じてしまいました。

長々と失礼しました。

タヌキさん

ごぶさたしてます。
そうなんですよね、いくら想像してみても死んだことがないので、想像の域を出ないと言うことになります。
臨死体験をした人だって、臨死体験なだけで死んでしまった訳ではないし、実際に死んだ人から"直接"は話は聞けないですからね。

ATさん
こんにちは

そうなんです。
『観念で造り上げられたものだったらどうしようーー・・』『私がものすごく長い間夢を見ているのかもしれない』『「私」さえ存在しないのかも』『この世のすべては神様の手によるお芝居のようなものなのではないか・・・』とかとか考えますよね~
で、結局、『存在』とか『今』とか『生きてる』とか『ある』とかは、良く分からないってことに行きついてしまいました。

以前は頭でそう思っていたんですけどね。
つまり、不確定なものと言う捉え方も出来るとかなんとか思っていたのですが、つい先日、あああそうか~良く分からないんだなと腑に落ちた訳です。
身体で感じられたような気になりました。
まあ、それもその時の自分の状態なので、今後も腑に落ちているかどうかは判りませんけどね。

コメントありがとうございました。

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